ひととせコラム【42】   札幌の住まいと暮らしの情報誌「Sun Clover」vol.42

オリンピック・パラリンピックによせて

 アジサイの花も盛りを過ぎ、大輪のひまわりが花開く季節がやってきた。

 1年延期された第32回オリンピック東京大会は、新型コロナウイルス感染拡大が収束の気配を見せない中、開催を危ぶむ声が多く上がっていた。

 過去の夏季大会では、第6回のベルリン大会(1916年)が第一次大戦のため、第12回の東京大会(1940年)が第二次大戦のため中止となった。

 筆者が勤めていた会社はオフィシャルスポンサーの一社で、新たに競技種目となった空手やホッケーを支援している。

 今年初めまで組織委員会会長だった森喜朗さんが性差別発言で辞任するハプニングもあった。そして、北海道出身のオリンピアン橋本聖子さんが新しい会長に就任。その後、空手の強化委員長が辞職する一幕もあった。これも女性への対応が発端であった。このような出来事は、五輪の歴史や意義を改めて考えるきっかけとなった。

 東京大会のテーマは「多様性と調和」であり、性別や国家や民族を超え、バランスの取れたスポーツの祭典を目指すこと。実は、ジェンダー(社会的な男女差別)の問題は、すでに古代からあった。

 もともとオリンピックは男性神ゼウスに捧げる祭りで、男子のみで裸で行われた。女性は参加することも応援することもかなわなかったのである。近代になっても同様で、第1回大会(1896年)では、女性は一切参加が許されなかった。近代オリンピックの創始者クーベルタン男爵も、男性優位主義者だったらしい。

 第2回のパリ大会(1900年)では、テニスとゴルフだけが女性にも非公式に許された。
 第4回のロンドン大会(1908年)から女性参加が公式に許されたが、メダルは授与されなかった。女子の陸上競技が許されたのは、第9回のアムステルダム大会(1928年)からである。このとき、日本から1人の女性(人見絹枝) が参加した。日本人女性が金メダルを初めて受賞したのは、第11回のベルリン大会(1936年)だった。「マエハタ、ガンバレ!」で有名な前畑秀子である。

 夏季五輪で、女性が全種目に参加できるようになったのは、2012年のロンドン大会以降である。五輪の男女平等が実現するまでに、なんと1世紀以上もかかったのだ。

イラストレーション:山本重也
http://www.shige-web.com/

 今回のコロナ禍で、五輪をただお祭り騒ぎで歓迎する雰囲気はなくなった。これまでの五輪で、パンデミック(感染症の世界的流行)が理由で中止されたことはない。1920年のアントワープ大会は、有名なスペイン風邪のさなかにも開催された。

 また五輪には、政治や経済の問題が絡んでいることがわかった。オリンピックには、IOC、JOC、組織委員会、東京都、日本政府がかかわっており、いったい誰が決定権限を持つのか、はっきりしない。日本の真夏の暑い盛りにオリンピックが開かれるのは、アメリカの主要テレビ局が莫大なスポンサー料をIOCに払っているからだといわれる。スポーツの世界にも政治などが入りこみ、「アスリート・ファースト」とはならないのが現実である。しかし、スポーツを通して世界が少しでも仲良くなれることは、結構なことである。

大森清司(おおもり・きよし)|1937年8月千葉県野田市生まれ。1960年中央大学法学部卒業。1960年野田醤油株式会社(現キッコーマン)入社。営業企画部長、デルモンテ事業部長などを経て、1994年取締役就任。2002年代表取締役専務として全国の営業を統括。2010年退職。この間、日本マーケティング協会マスターコースマイスター、全国トマト加工品業公正取引協議会委員長、学校法人中央大学理事などを歴任。著書に『私のビジネス春秋』『春秋余情』『春秋高く、しなやかに』『ひととせを紡いで』(諏訪書房)。趣味は読書、詩吟。

>> ひととせコラム 過去の記事一覧へ
>> Sun Clover トップページへ

▲ページトップへ