小野寺燃料

札幌の住まいと暮らしの情報誌「Sun Clover」vol.31
~ひととせコラム【31】~

秋の夜長、燈火に親しむ

 今はあまり使われないが、「秋の日は釣瓶おとし」という言葉があった。加賀千代女に「朝顔に釣瓶とられてもらい水」というほのぼのとした句がある。水道のない時代には、井戸で水を汲んだものである。釣瓶は井戸の水を汲むため、縄の先につけた桶のことである。手を緩めると、井戸の中にするすると滑り落ちた。このように秋の日が一気にあっという間に暮れるさまを表現した言葉である。夏も終わり秋の彼岸が近づく季節になると、日が暮れるのが急に早くなる。やがて、秋の夜長の季節がやってくる。

 「暮れなずむ」というのは、暮れそうで暮れない春の夕暮れをさす表現である。秋の夜長には、美味しい酒を飲んだり、親しい友と語らうのもよいが、本をじっくりと読める。空気が冴えて、夜の時間が長い季節は、読書をするのにぴったりである。現代では、暑さ、寒さもエアコンで調整され、夜間の照明には蛍光灯があり、年間を通して何不自由なく本を読むことができる。こういう時代に「燈火に親しむ」といっても意味がわからない人が多いかもしれない。しかし、電灯が普及する前の時代には、夜間に本を読むには、ろうそくや魚油、綿実油、菜種油など灯りが必要だったのである。


イラストレーション:山本重也
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 中国は唐の時代に韓愈という文人がいた。彼には「新涼郊墟に入る 燈火ようやく親しむ」という名文があった。新秋の涼しさが野や丘にやってきた。ようやく燈火に親しむべきときがやってきたというわけである。日本でも幕末の儒学者である菊池三渓には、「新涼 書を読む」という読書についての漢詩がある。その後、漢学にも詳しかった夏目漱石が小説『三四郎』の中で、この韓愈の詩を取り上げ、一層有名になった。下って、太平洋戦争後の1947年の秋から「読書週間」が始まったが、このイベントも歴史的な季節感を受け継いだものであろう。読書週間は文化の日を中心とする2週間である。この頃は若い人の本離れが著しいが、2018年の読書週間の標語は「ホッと一息 本と一息」である。読書は〝くつろぎ〟のタイムでもある。

 最近では、本を求めるにも書店が少なくなってきている。全国の2割以上の自治体で本屋がないという。広い北海道も同様である。そこで、北海道では「走る本屋さん」というワゴン車が活躍していると聞く。今や全国あちこちで「イマドキの本屋」が登場している。全国で本や雑誌の購入が一番多いのは、教育県とされる長野で、次いで東京、高知。北海道は33番目とか。最近はネットで本や雑誌を買ったり、読んだりできる。しかし、我々の世代はどうしても、紙の本にこだわりがある。やはり書店に行って本を手に取り、目次や本の質感を確かめてみたい。

 話題は変わるが、私の中学校時代の同級生に石毛直道という文化人類学者がいる。2017年11月の日本経済新聞で「私の履歴書」を書いたので、ご記憶の方もおられよう。彼は元国立民族学博物館館長で、「食文化」を学問として体系化し、多くの本を著している。2017年の夏に中学校の同窓会があり、久しぶりに彼と出会った。彼と私は、卒業のときに市から読書会賞をもらったことを思い出した。彼は学問、私はビジネスの道を選んだが、子供のころからの本好きは変わっていない。私はもう実業の世界からリタイアしたので、仕事を絡めず、好きな本をいつでも読める。ただし、これから読める本はおのずと限られてくる。小説、随想、古典文学、歴史書、漢詩、仏教など、人生を豊かにしてくれる本が中心となるだろう。秋の夜長には、これらの本を灯りのもとで静かに楽しみたい。幸いにして今は「蛍の光」や「雪灯り」に頼らなくても、明るい光りのもとで本が読むことができる。俳人の山口青邨には「人それぞれ書を読んでいる良夜かな」という句があるが、今の季節にぴったりである。

大森清司(おおもりきよし)

1937年8月千葉県野田市生まれ。1960年中央大学法学部卒業。1960年野田醤油株式会社(現キッコーマン)入社。営業企画部長、デルモンテ事業部長などを経て、1994年取締役就任。2002年代表取締役専務として全国の営業を統括。2010年退職。この間、日本マーケティング協会マスターコースマイスター、全国トマト加工品業公正取引協議会委員長、学校法人中央大学理事などを歴任。著書に『私のビジネス春秋』『春秋余情 私のほどほど人生』『春秋高く、しなやかに シルバー・ボーイズ、ビー・アンビシャス!』(諏訪書房)。趣味は読書、詩吟。

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