小野寺燃料

札幌の住まいと暮らしの情報誌「Sun Clover」vol.28
~ひととせコラム【28】~

冬の野鳥たち

 海に囲まれ、南北に長い日本列島には多くの野鳥がやってくる。山階鳥類研究所の調査では、日本にはおよそ600種類の野鳥がおり、うち250種が各地で繁殖をしている。一年中とどまっているスズメ、ハト、ウグイスなどは留鳥と呼ばれるが、その他は渡り鳥である。冬の渡り鳥たちは、越冬するためにはるばる北の国からやってくる。雁、マガモ、ジョウビタキなど、その数は多い。北海道は、鳥たちがシベリヤから本州へ渡る中継地で、オオハクチョウ、コハクチョウ、マガンなどの渡り鳥が見られる。ラムサール条約(水鳥の湿地保存条約)の登録地は、北海道が圧倒的に多い。渡り鳥は北海道の沼地で休息と栄養を取り、4月には「北帰行」のためロシアに戻る。昔から日本人は「花鳥風月」の美しさの中で、鳥をも愛してきた。万葉集にも「葦辺行く鴨の羽がひに霜降りて寒き夕べは大和し思ほゆ」(志貴皇子)があり、拾遺和歌集にも「思ひかね妹がり行けば冬の夜の川風さむみ千鳥なくなり」(紀貫之)の歌があった。一方で夏鳥たちは、冬になると暖かな南へ帰る。秋から冬にかけては、渡り鳥たちの大移動の季節である。

 渡り鳥がどうして数千キロメートルも遠い国から目的地に到達し、また帰っていけるのかは、まだナゾである。渡り鳥たちは太陽の向き、星の位置、風向き、気温、磁気とか地形なども認識できるらしい。しかも飛ぶスピードは驚くほど速く、飛行するにもっとも安全でよい気候を選んでいる。渡り鳥は航空機のパイロット以上に鋭敏な知覚能力と感覚を備えており、メーターなどもつけずに遠距離を飛行できることは、まさに神秘的ですらある。もっとも、昨年の冬には、北米の鳥で越冬のため南米に行くべきところ、間違って茨城県涸沼に渡来した鳥もいた。野鳥が本能的に持っているはずのGPS機能が故障してしまったのかしれない。


イラストレーション:山本重也
http://www.shige-web.com/

 現在の皇居にも多くの鳥類が観察されているが、幕末にやってきた外国の外交官の記録によると、当時の江戸城ではトキやツルが飛んでいたという。ところが環境が変わり、乱獲もたたって、野鳥の種類は急激に減ってきている。アホウドリという特別天然記念物の渡り鳥がいる。夏は北の海にいるが、冬には暖かい日本近海の鳥島などに移り住む。しかし人を恐れないので、簡単に捉えられ羽毛に利用されてしまった。そのためこの鳥は絶滅しそうになった。そこで噴火のある鳥島から小笠原諸島に移住させた。その鳥が2016年の冬に、アラスカ沖あたりから小笠原諸島に戻ってくるようになったといううれしい報告があった。

 私の住む千葉県は、海が近く温暖で野山も豊かなので、多くの野鳥がやってくる。隣町の流山市には「オオタカの森」があり、手厚く保護されている。県北西部にある手賀沼は水鳥の住処である。手賀沼のほとりには我孫子市という古い街がある。この街は江戸時代から利根川の水運で栄え、かつては白樺派の文人たちが移り住んだ。ここには冒頭述べた山階鳥類研究所があり、総裁は秋篠宮文仁親王殿下である。

 会社現役のころ、千葉県野田市に80年ぶりに新本社屋を建設することとなった。地方都市にあるので、敷地は広く、建物は低層の3階建てである。陽当たりもすこぶるよい。この建物のある中庭に、L字型の池を作った。建築して数年経ったころ、急にカルガモの一家が飛来するようになった。池のわきには、カモが泳ぎ疲れたら休める干潟もある。強い風も吹かず、他の動物たちから襲われる心配もまったくない。彼らにとって天国のような場所かもしれない。カルガモは関東では留鳥であるが、北海道では観察されていないらしい。これまで、「ひととせコラム」では「花鳥風月」の鳥については取り上げることがなかった。今年(2017年)はトリ年でもあるので、今回は野鳥たちへの日頃の思いを述べた次第である。

大森清司(おおもりきよし)

1937年8月千葉県野田市生まれ。1960年中央大学法学部卒業。1960年野田醤油株式会社(現キッコーマン)入社。営業企画部長、デルモンテ事業部長などを経て、1994年取締役就任。2002年代表取締役専務として全国の営業を統括。2010年退職。この間、日本マーケティング協会マスターコースマイスター、全国トマト加工品業公正取引協議会委員長、学校法人中央大学理事などを歴任。著書に『私のビジネス春秋』『春秋余情 私のほどほど人生』『春秋高く、しなやかに シルバー・ボーイズ、ビー・アンビシャス!』(諏訪書房)。趣味は読書、詩吟。

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